日本人は皆源平藤橘の子孫である。は本当か?
「日本人は皆天皇の子孫なんだ」「だいたい源平藤橘に繋がっている」とよく聞きますが、それは果たして本当なのでしょうか。
科学的に実証するためには祖先と本人の遺伝子の共通性を見つけ出す必要があります。しかし、我々が簡単に知ることのできる情報は男系で受け継がれるY染色体と女系でのみ受け継がれるミトコンドリアDNAで、たとえ私(男性)の母方祖父が天皇であっても、その間に母がいるわけでY染色体が継承されることはありません。
遺伝子による科学的なアプローチではY染色体のSNPの分岐によって、男系の血縁関係を確定させていくことになるため、主題にある子孫よりもかなり狭義的になってしまうのです。今回の記事では婿養子などを含む女系まで範囲を広げて考えてみることにします。
各氏族の始祖は天皇や藤原氏などに遡る
日本最大の氏族である藤原氏は多くの公家をはじめ日本各地の家が由緒として伝えています。皇族の子孫も臣籍降下で源や平の姓を得て、日本各地の国府に任官するなどしてその地に土着したのが武士のはじまりというのが教科書的な説明となっています。苗字と氏の違いはここでは省きますが、苗字の由来について調べると「藤原(源or平)〇〇の次男が△△郷の地頭に任ぜられ、△△と称す。」という記述をよく見かけます。
領土の所有者の多くは藤原氏や源氏、平氏でつまり天皇や藤原氏の子孫であることを意味しています。それ以外の古代氏族などもいましたが、藤原氏と姻戚関係や養子関係になることでその子孫が『佐藤』『斎藤』などを称して結果的に、古代氏族の子孫も源平藤の子孫とオーバーラップしていくことになるのです。
元武士の農民、武士になった農民
田舎の由緒正しい家は戦国武将の家臣の末裔を称していることがあります。山梨なら先祖が武田の家臣であったとか、茨城には佐竹の旧臣を称する農家があったりします。刀を携えることをやめて農業に専念することを帰農といいます。
もっと近い時代だと、明治突入後の徳川慶喜の謹慎に附随して家臣たちが静岡に移住し、茶農家を営んだ話も有名です。
幕末になって財政が窮乏した藩は富裕百姓に士分を与えることと引き換えに財の寄付を要請することがありました。寄付の見返りは藩によってさまざまですが、永代で士分を得られたという話はあまり聞いたことがなく、名字帯刀や麻上下の容認や一代限りの士分付与などによって、お金持ちの百姓は武士に準ずる地位へと上昇する手段があったのです。
こうしてみると身分制によって制限された姻戚関係も養子や、身分の上昇などを通して、わずかに流動的であったことがわかります。
結婚に関して厳しい時代でも貧しい名家と豊かな農家が交わることはあったのではないでしょうか。
藩政期における系譜との乖離
江戸時代は、今の行政の一部が『家』にありました。ある武士の権利義務は由緒、戦功や忠義によって証明されなければならず、藩主に仕えている武士の多くは家系図を作って藩主に提出していました。が、戦国の動乱を経ても系図がハッキリと残っている家は少数派で、口伝や他の史料をもとに作成するのが普通だったのです。
昔の資料を読み込んでいると、武士は家系図オタクだったんだなと思うことも少なくないですが、我々が会社に履歴書を提出するくらい大事なことだったのです。
系図がハッキリしない武士たちによる系図のはずなのに、多数が大体一番上に行くと『清和天皇』『桓武天皇』『藤原不比等』がいるのです。全員が本当に男系の子孫と証明する術はありません。
天皇や藤原氏の子孫を称する武士はたくさんいるわけですが、そのうちいくつかは本当でいくつかは嘘ということになりますよね。
たとえ系図が嘘であったからといって天皇や藤原氏の子孫であることが否定されるわけではないのです。
系図屋によって嘘の系譜を作ったことで出世した武士がいたとして、同僚の清和源氏の由緒正しい武士との間で娘を嫁がせて姻戚関係になった場合、その子孫は清和源氏の血を継いでいることになるのです。
農村の社会構造が武士の子孫を増加させた
先ほども記述したように、農村のトップを司った庄屋や組頭などの上層農民の多くは戦国期の武士にルーツを持ちました。そして、土地所有者として、自身の土地を子孫に相続させて分家を作り、地域による権力が固定化される要因の一つとなりました。
そうすると、上層の分家が下層に食い込み、必然と下層の農民は遡ると上層農民にルーツをもつ構造へと変化していくのです。江戸期の都市部の若者は未婚率が高かったと言われますが、農村ではほぼ全てが結婚できたわけではなく、分家や使用人、下層農民と身分が低下するにつれて未婚率が上がるというデータも見られています。つまり、今生きている我々のご先祖は農民であっても、江戸時代に遡り、さらに本家の発祥へと遡ると、有名な武士かもしれないのです。
田舎の名士の家系の「うちは戦国武将の家臣の末裔である」という話もあながちウソではないと言える理由の一つです。
